2005年に発覚したマンション耐震偽装問題。
そしてこの事件で一躍ときの人となった姉歯秀次氏。
早いものであの事件から12年がたちます。
あの騒動以来聞くところによると、
姉歯氏の周りでは色んな事が起きたそうです。
そこで今回は耐震偽装問題のその後何が起こったのか…
そして問題の建物はどうなったのか?
画像を交えて探っていこうと思います。
姉歯秀次氏について
姉歯秀次氏は宮城県大郷町出身の一級建築士だった。
1980年に地元宮城の宮城県立古川工業高校に進学。
卒業後は大阪のゼネコンに入社すると東京支社勤務になる。
東京では施工部門で現場の管理にあたる。
1984年に設計の仕事に転職すると、
1988年千葉県の市川市に個人事務所を開設。
そして1990年に一級建築士に登録される。
しかし2005年「耐震偽装問題」が発覚して、
同年に一級建築士登録を抹消される。
「耐震偽装問題」で問われた姉歯氏には、
実刑の判決が下された。
その時の記事を引用して紹介します。
耐震強度偽装事件で、建築基準法違反や議院証言法違反などの罪に問われた元1級建築士の姉歯秀次被告(49)に対する判決が26日、東京地裁であった。
川口政明裁判長は「無責任な行為で、建築業界全体への国民の信頼をかつてないほど低下させた」と述べ、
姉歯被告に求刑通り懲役5年罰金180万円の実刑を言い渡した。
姉歯被告から建築士の名義を借り、無資格で設計監理したとして建築士法違反の罪に問われた秋葉三喜雄被告(46)は
懲役1年2カ月執行猶予3年(求刑懲役1年2カ月)とされた。
偽装事件で起訴された6人のうち有罪判決を受けたのは、これで4人になった。
引用元 http://www.asahi.com/special/051118/TKY200612260233.html
姉歯秀次氏・家族の現在
姉歯秀次氏は「耐震偽装問題」の発覚後は一気に注目を浴びる。
当時はメディアも連日大きくとりあげ非難が集中した。
その過剰な報道のストレスからか…
実は2006年3月28日に姉歯氏の嫁が自ら命を絶ってしまっていた。
嫁が亡くなった後は息子2人は千葉の自宅で2人で暮らしていたよう。
しかし自宅は売却され他人の物になる。
2人は毎月6万円の家賃を払って借りていたという。
姉歯秀次氏と2人の息子は千葉の元自宅には住んでいないようで、
現在はどこの土地で生活しているかは不明。
耐震偽装問題の建物は今
「耐震偽装問題」の主役となった建物のその後も気になります。
一説によると問題の建物はあの東日本大震災にもたえ、
ヒビ一つも入ら無かったといわれています。
耐震偽装の建物が解体されず残っていたのも驚きですが…
しかし当時姉歯氏は、
「耐震に関してはかなりの強度を保っておりますし、震度7や8にも十分耐えられるはずです」
と話したいた。
結果は姉歯氏が言っていた通り、
あの巨大地震にも耐えた形となった。
この話題のまとめ
後に姉歯氏は次のように証言している。
○○建設からの圧力に耐えかね、構造計算書の偽造に手を染めた。
病気がちな嫁を守るために収入がゼロになる事を恐れて、
耐震偽装をしてしまったと。
しかし結果は嫁も自ら命を絶ってしまい、
全てを失う結果となってしまった。
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