石原プロモーションの元専務、小林正彦ことコマサさんが亡くなられました。死因は虚血性心不全という事です。
今回は、小林正彦さんの死因となった虚血性心不全と経歴や家族いついてを紹介していきます。
小林正彦の経歴
小林正彦さんは石原裕次郎が結成した石原プロモーションの元専務で、通称「コマサ」や「大番頭」と呼ばれて周囲から親しまれてきました。
1936年に三重県で生まれた小林正彦さんは、日活が運営するホテルでフロントボーイとして就職していますが、サービス業には向いていない性格で、筋が通らない客に対しても食ってかかる事もあったそう。
その頃の武勇伝として、飲食の料金を踏み倒そうとした外国人プロレスラー相手に、ひるむことなくねじ伏せたのは有名です。
その後日活撮影所に移動になったのがきっかけで、当時国民的俳優の石原裕次郎をはじめ渡哲也と知り合う。
石原裕次郎が小林正彦さんの仕事ぶりに惚れこみ、その流れで1965年に石原プロモーションに入社しています。
1972年には、石原プロモーションが巨額の負債を抱え込み、倒産の危機に追い込まれる事態に陥るが、当時、石原プロモーションの専務になっていた小林正彦さんが、負債額の3億円を用立てた話も有名だとか。
その後も、石原プロモーションを支え続けてきた小林正彦さんは、最後まで石原裕次郎の俳優としての演出を考え続けている。
2009年の石原裕次郎23回忌には、国立競技場を貸し切り「裕次郎寺」を競技場内に建設したエピソードも有名。
この23回忌には、数十億円ものお金が使われたとして当時、前代未聞と話題になっている。
この23回忌の大々的なイベントも、小林正彦さんの提案で実現したもので、石原プロモーションの影の実力者と言われた。
小林正彦と石原裕次郎と渡哲也
石原プロダクションに入社して、専務となった小林正彦さんは、石原裕次郎と渡哲也の間で「奇妙な三角関係」になる。
当時、石原裕次郎は「渡哲也に弱く」意見を言い伏せていたが、小林正彦さんは「渡哲也に強く」その間を取り持つ役目にもなっていた。
その後、石原裕次郎がなくなった後は、石原プロモーションの実力者として石原プロモーションを支えてきた。
2009年の「石原裕次郎23回忌」をやり遂げた小林正彦さんは、2011年に石原プロモーションから身を引いている。
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小林正彦の死因・虚血性心不全とは
小林正彦さんの死因となった、虚血性心不全について簡単に解説していきます。
虚血性心不全とは、心臓に血液を送り込む動脈が何らかの原因で狭くなり、血液の循環が悪くなっている状態。
その為血液のポンプの役割をしている心臓が、正常に機能しなくなる病気の総称。
以前タレントの前田健さんが亡くなられた死因も虚血性心不全でした。
虚血性心不全の主な減員は動脈硬化で、知らず知らずのうちに動脈硬化が進行して心不全を起こし突然死の原因となる。
また、肥満・糖尿病・高脂血症・高血圧が大きく関係していて「死の四重奏」と言われているようで、日頃から不摂生な生活を改める必要があります。