海上自衛隊護衛艦、初の女性艦長に着任した「大谷三穂」さんが、所ジョージさんの番組「一億人の大質問!?笑ってこらえて」で取り上げられて話題になっています。
大谷三穂艦長は2016年の2月29日に、横須賀港を母港にする護衛艦「やまぎり」の艦長として着任しています。
そこで今回は、日本初の女性艦長「大谷三穂」さんのこれまでの、経歴や家族に興味が沸いたので調査してまとめてみました。
大谷三穂艦長の経歴と簡単なプロフィール!
名前 大谷三穂(おおたに みほ) 年齢 45歳 生年月日 1971年5月28日 出身 大阪市吹田市 2等海佐 護衛艦やまぎり艦長
大谷三穂艦長の経歴
大谷三穂艦長は、京都の大学で普通の女子大生として大学生活を満喫していましたが、大学2年生の頃に「湾岸戦争の現地の戦闘映像」を見て感化されたと言います。
「こんな生ぬるい生活していていいのか、と思いました。親のスネをかじって…。なんだか、恥ずかしくなったんです」
そして偶然のタイミングで新聞に「防衛大学校が女子に門戸開放」との記事をみて受験を決意したそうです。
勿論両親には反対されたそうですが「国の役に立ちたい」と両親を説得して1992年に防衛大学校に入学しています。
入学後にはあまりの過酷さに何度も「辞めたい」と思ったそうですが、親を説得してまで入ったからには、辞める訳にはいかなかったんだそうですね。
その苦しみを乗り越え、晴れて自衛官になった時には周りの40人いた女子は、気づけば半分の人数になっていたと言います。
大谷三穂艦長は、当時2佐で海上自衛隊の幹部として就任しますが、当時女性自衛官は「護衛艦に乗船」できない事で悔しい思いをしたそうです。
その後護衛艦「あさぎり」の船務長などの経歴を経て、2013年に練習艦「しまゆき」の艦長に着任。
2016年の2月に女性初の護衛艦「やまぎり」の艦長として着任しています。
大谷三穂艦長着任式動画 → 護衛艦に初の女性艦長
普通に女子大生として生活を送っていて、湾岸戦争の映像を見て自衛官になると言う「正義感」には感心させられます。
当時テレビで流れるゲームみたいな映像に、どこかリアル感が無いのには驚いてみていましたが、自分が「日本の為に役に立ちたい」とかは正直、発想自体が出ませんでしたね。
ここ近年は中国の尖閣諸島問題などで、平和ボケしている場合じゃない時代になってきましたから、本気で日本の防衛について考える時期が来たような気がします。
大谷三穂艦長の旦那や子供は!?
大谷三穂艦長は1996年に防衛大学校を卒業して、その年に海上自衛隊に入り、その後にご結婚もしています。
お相手の男性は同じ自衛官で、お二人の間には女の子にも恵まれています。しかし残念ながらそのご主人さんとは離婚しているようですね。
離婚後には大谷三穂艦長がお子さんを引き取り、現在はご両親にお子さんを預けて任務にあたっているそうです。
現在中学1年生になる娘さんには寂しい思いをさせたと言いますが、娘さんに「ママは艦長」と言ってもらう事を励みに頑張ってこれたそうですよ。
そんな困難の中で日本人初の女性艦長まで来た大谷三穂艦長は、現在同じ自衛官の男性と再婚しているそうですね。
大谷三穂艦長が乗船する「やまぎり」とは!?
基準排水量 3.500t 馬力 54.000PS 主機械 ガスタービン4基2軸 速力 30kt 乗員 約220名 主要寸法 137x14.6x8.8x4.5m(長さ、幅、深さ、喫水) 主要兵器 高性能20ミリ機関砲x2
62口径76ミリ速射砲x1
短SAM装置一式
SSM装置一式
アスロック装置一式
3連装短魚雷発射管x2
哨戒ヘリコプターx11984年に発注され三井造船が建造、海上自衛隊の護衛艦「あさぎり」の2番艦として1989年から任務に就いています。
艦名の由来は「山に発生する霧」から来ているそうです。一時2004年に練習艦になりますが、2011年に再び護衛艦として戻ってきているようです。
「やまぎり」の画像まとめ
護衛艦「あさぎり」