千石イエスこと千石剛賢(せんごく たけよし)2001年没78歳をご存じだろうか?
千石剛賢は1980年年代に世間を騒がせた「イエスの方舟」という教団の創設者。
信者たちと共同生活をしていたことから当時は現代版「ハーレム」とマスコミがたくしあげて社会問題になったそうです。
しかし共同生活の中には男性や夫婦もいたとされその真相は謎のままだと言います。
そこで今回は千石剛賢がどんな人物だったのか画像を交えて経歴などを調査していきます…
千石剛賢の経歴と人物像
名前 千石剛賢(せんごく たけよし)
生年月日 1923年7月12日
出身 兵庫県加西市
没年日 2001年12月11日(78)
千石剛賢の経歴
千石剛賢は兵庫県で裕福な農家の家庭に生まれているが幼いころから気性が荒く若い頃は喧嘩に明け暮れる日々が続いたといいます。
1952年に大阪で開かれた聖書研究会に参加することがきっかけで研究会のメンバー10で「極東キリスト集会」の中心メンバーとして共同生活に入ります。
これが後に世間を騒がせる「イエスの方舟」の前身と言われていてこの時に上京して活動拠点を東京の国分寺へ移しています。
1975年に「極東キリスト集会」から「イエスの方舟」と改名したが丁度この頃から千石に共感する若者が全国から集まり信者との共同生活が始まる。
共同生活をしている信者には家族を捨てる格好で来た人もいるいいます。
その後1978年には信者を連れて全国を転々とする生活を送っているがそれには千石の体調不良の為に満足いく布教活動がで出来なくなった事が理由とされている。
千石剛賢の家族や子供
千石剛賢は一度離婚経験しているが「極東キリスト集会」設立以前に再婚をしています。
離婚した元夫人とは二人の子供がいてどちらも女性で再婚したまき子夫人との間にも一人お子さんがいるようですがこちらもまた女性という事です。
その他にも養子を向かい入れていて実の子供以外に何人子供がいるのかは調査がいき届かなく把握できませんでした。
「千石ハーレム」事件とは
世間を騒然とさせた事件「千石ハーレム」とは信者たちと共同生活を不審に思った信者の家族たちがマスコミや警察に相談したことを受けて発覚。
どのマスコミも「千石イエスよわが娘を返せ」などの見出しで取り上げると世間は「イエスの方舟」がカルト教団ととらえ騒然とする。
この問題は国会でも取り上げられて狂信的団体として「若い女性を勧誘して集団で消える神隠し、法治国家として恥ずる出来団体」とまくしたてた。
しかし世間が千石剛賢率いる「イエスの方舟」が「千石ハーレム」カルト教団と騒ぎ立てる中サンデー毎日だけは違った見方をしていた。
サンデー毎日は「千石イエス独占会見記」を掲載し他のマスメディアから批判をあびるも千石剛賢はカルト教団とではないの姿勢は崩さなかった。
しかし「千石ハーレム」と言われていた共同生活実態は若い女性だけでなく男性や既婚者の女性も共同生活に加わっている事が判明する。
後に千石剛賢に逮捕状が出るが捜査の結果事実関係はないとの事から釈放されている。
事件後の「イエスの方舟」
事件後の「イエスの方舟」は1980年12月に信者と共に福岡の中州に拠点を移して生活している。
自らも共同生活の生活費を工面するために信者と大工の仕事をしたりしていたと言います。
また生活費を助けるために女性信者は「シオンの娘」というクラブを経営して共同生活を送っている。
この話題のまとめ
2012年に千石剛賢が亡くなった後は「イエスの方舟」の代表を夫人が引き継いだと言います。
三女の恵と養子の雄太が副主幹になり現在も「イエスの方舟」の活動を続けている。
爆報フライデー
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